KE007/KE009 HASEMI & HOSHINO SIGNED PHOTO F1 FUJI 1976/1977

[SET OF 2]KOJIMA KE007 MASAHIRO HASEMI F1 WORLD CHAMPIONSHIP IN JAPAN 1976 & KOJIMA KE009 KAZUYOSHI HOSHINO F1 JAPANESE GRAND-PRIX 1977 IN FISCO AOTOGRAPHED PHOTO EACH.

  • メーカー : FRAMED MEMORABILIA
  • サイズ : W22.5xH18.5xD1㎝ / W26xH19xD10㎝[WOODY+ACRYLIC FRAMED]
  • 備考 : 各直筆サイン入り / 長谷見 昌弘(ゴールドマーカー) & 星野 一義(ヘルメット・イラスト付)

税込:¥ 25,000 (税抜:¥ 22,727)

商品コード: GP0008151


   
ウィキペディア:1976年に日本で初めてのF1開催が決定、コジマはオリジナルマシンで参戦することを決断する。1976年10月、F1選手権イン・ジャパンに「KE007」1台でスポット参戦。完全に見下されていた外国勢に衝撃を与えたのが、予選初日の長谷見の走りだった。「コジマKE007」で4番手のタイムをたたき出し、アンドレッティの前に出たのだ。富士スペシャルとして熟成させたマシンで、長谷見はこの順位には満足していない。ポールポジションを狙う彼は、2日目も攻め続ける。しかし、最終コーナーを走行中に左フロントサスペンションが破損し、250km/h以上のスピードでクラッシュ。モノコックにもダメージを負ってしまった。スペアカーを持たないコジマは出走不可能と思われたがチームは修復を決断。モノコックにまで及んだダメージは、修復というよりほとんど新造に近い作業となったが他チームのメカニックらの協力もあり、40時間後の決勝当日午前7時に作業が完了した。 大雨の中10番グリッドからスタートした長谷見は、モノコックのねじれで直線をまっすぐ走らないような状態ながら完走車の最後尾7周遅れの11位完走を果たした。 長谷見は「無報酬にもかかわらず徹夜でクルマを修理してくれたみんなのためにも完走だけはしたかった」と語った。1977年は、全日本F2000用に「KE008」を投入するとともに10月のF1日本GPにむけて「KE009」を開発。高原レーシング(高原敬武)とヒーローズレーシング(星野一義)とジョイントして2台体制でスポット参戦する。高原がクラッシュに巻き込まれて1周リタイア、星野が2周遅れの11位という不本意な結果に終わる。しかし日本GP終了後の11月、チームは富士スピードウェイでプライベートテストを実施。ケケ・ロズベルグがステアリングを握ったが開始早々に「タイヤに空気が入っていない」と言われて空気圧を上げて走行させるとタイムが向上。その後、使用済みグッドイヤー製タイヤを履かせて走行したところ日本GP決勝の優勝車と遜色ないタイムを記録した。